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創立者

佐藤夕子
創立者  佐藤 タ子(さとう たね)

 創立者である佐藤夕子は、旧中仙道の坂本宿、現在の群馬県碓氷郡松井田町大字坂本で明治8年(1875年)3月7日に誕生いたしました。夕子の育った坂本は、かつては大小の旅館が立ち並ぶ宿場町で、たいへんにぎやかな町並みであったようです。

夕子は6人兄弟の末子で、常に兄達の勉強する姿を見ていて、門前の小僧のたとえのように就学年齢に達しないうちから「論語」「女大学」などをすでに読解できたといわれています。
この頃の学校制度は、試験によって進級することができたので、学校へ1年間登校して2年生の教科課程を終了してしまう児童もあったようで、夕子はまさにその児童の部類に入っていました。進級につぐ進級で試験にパスして4年間くらいで卒業した為、学校の在学年数は短く、世間からは神童と称されていたと伝えられています。

学校卒業後も、兄達の勉強を見習い寸暇を惜しんでよく学び、家事についても母親をよく助けたといわれています。その後、成人した夕子は縁あって長野県南佐久郡臼田町の井出家に嫁ぎました。時は明治29年、嫁ぎ先の井出家は「大槌屋」と号して南佐久地方きっての豪商でしたが、長男が誕生し、幸せなはずの新婚生活は思うにまかせず苫悩する日々が続いたようです。
かねてから女性の社会的な自立についての思いを深めていた夕子は、遂に離婚を決意して故郷に帰ることとなり、とりあえず自活の方法として細野尋常高等小学校臨時教員として就職しました。その後、東京本郷の東京裁縫女学校(現在の東京家政大学)の速成科に入学したのは明治33年11月でした。入学後は試験に連続して合格し、僅か半年にして卒業。さらに、速成科の卒業では至難といわれていた中等教育検定試験(裁縫科)にも合格し、独立自活の初志の第一歩を踏み出すことになりました。

明治34年、静岡県見付町の裁縫伝習所講師を経て、同県三島町田方郡立高等女学校に2年余り在職。その後、故郷の群馬県で女子教育に尽くしたいという熱意に燃え、明治39年4月高崎市柳川町2番地の民家を借りて私立裁縫女学校を創設し、校長として教育を始めました。夕子31歳の時でした。
女性の自立、社会的地位の向上には実学を通しての教育が必要だとの考えから裁縫の実技修得に全力を注ぎ、生徒数も年ごとに増加。明治44年には、師範科卒業生に対しては無試験で小学校専科正教員の免許状が与えられるほどの信用を確立し、地元に定着いたしました。昭和18年(1943年)財団法人佐藤学園を設立。校名を佐藤高等技芸女学校と改称し、校舎を高崎市大橋町に移転しました。さらに、昭和23年(1948年)学校教育法により高等学校となり、校名を佐藤技芸高等学校に改称。昭和26年(1951年)、財団法人から学校法人に組織を変更し、校長は孫の井出温に譲り、名誉校長兼理事長に就任いたしました。昭和28年5月13日には教育功労者として文部大臣より表彰されましたが、同年11月22日、介抱のかいなく78歳の生涯を閉じました。